徒然なるままに

こんにちは、佐藤です。

タイトル通り、徒然なるままに書いてみようと思います。

皆さんは、ジョハリの窓は分かるでしょうか?

自分から見える・見えないと、他人から見える・見えないの4つの項目を掛け合わせた物です。

従って2×2の4つのパターン。

1、自分も見えて、他人からも見えている

2、自分は見えないけど、他人は見える

3、自分は見えているが、他人は見えていない

4、自分も他人も見えていない

この4象限に分けられます。

最近考える事があります。

皆さんは2の部分をどれだけ意識しているでしょうか?

私も若輩者ですが、少しずつ経験を重ねてきました。

改めて感じるのが2の部分。ここの部分が大きいと思うのです。

相手からの視点があることを忘れてしまうと、肝心なことを見逃してしまう。

その様なことを最近特に考えるようになりました。

他人の目というのは得てして厳しい物です。

それに対して、どれだけ真摯に向き合えるか。素直に向き合えるか。

なかなか自分では目を向けたくないときもありますが、それに目を向けないと成長もしない。

改めて研修は、その点に気付かせてくれる良い機会では無いかと思っています。

自分に厳しくなる・・・なかなか難しいですよね。講師をしながら私も日々精進です。

いつまで経っても学びを

こんばんは、佐藤です。

本日は、シルバー人材センターでの研修を担当して参りました。

シルバー人材センターですので、年齢は最低60歳以上、今回の参加者の最高齢は

何と77歳でした!

いやはやびっくり! そして積極的!

女性でしたが、質問も多く、エネルギッシュでした。

学びには年齢は関係なし。それを実感した一日でした。

ちなみに、日本の資本主義の父、渋沢栄一は、

「40、50ははなたれ小僧、60、70歳は働き盛り」と言っています。

それを考えたら、私はまだまだ赤ん坊のようなものです。日々精進です。

 

 

嗚呼!友情

 薬物使用による清原選手関連のニュースのなかで、薬物常習から更生した人の話しには生々しいものがある・・・
 その人の薬物に関係するキッカケは、友達(交友関係)からの紹介だということだ。
 本人が自分の意思ではまってしまったよりも恐ろしい気がしてならない。
 ・・・友達が、苦痛からの解放と称し、その後の人生を狂わせるようなことをするのかと。
 友(友達)というものは、平たく言うと①常に親しく交わる仲間②志を同じくする者とある・・・
悪友も友達の部類であろうが、何か明るさはある。
しかし、経験上何か解せないし、このような乱れた?間柄も「友」というのだろうかと。
 では、ということで「友情」を調べてみた・・・

 友情とは、互いの好感、信頼に基づき価値を認め合い、相手のためには自己犠牲も顧みず出来ることをしようとする、とある。

清原選手の場合、甲子園で苦労をともにした盟友桑田選手の忠告に耳を貸さなかったようだが、その友情を理解しないほどに心が蝕まれていたことが清原選手の崩壊と感じた。

そして、薬物とは、友情の絆さえも奪うものなのかと嘆かわしく思わざるを得ない。

10年ぶりの!

2回目の登場、久慈です!

 

さて、先週の日曜日私はテレビの相撲中継にかぶりついていました。

 

モンゴル人横綱3人を蹴散らし千秋楽優勝争い単独トップにいた力士それは・・・

 

なんと大関琴奨菊だったのです!

 

大関昇進以来つねに優勝の期待をかけられながら

 

角番を幾度となく経験し勝ち越しても9勝止まり。

 

クンロク大関と不名誉なレッテルを貼られていた大関の姿からは

 

想像できないほどの気迫、力強さで土俵に立つ大関の姿がそこにはありました。

 

いつもの時間前に上体を反らすルーティンはいつにも増して輝いているようでした。

 

そして・・・

 

大関豪栄道を力強く破り、優勝を決めた瞬間

 

琴奨菊の目から汗とは違う一滴のしずくが零れていました。

 

もともと実力は一級品だったのですが度重なるけがに悩まされ、

 

なかなか真の力を出せずにいたのですが、

 

結婚を機に肉体改造に着手し

 

体幹を徹底的に鍛え直し持ち味のがぶりが一層切れが増したのが勝因だと語っておりました。

 

琴奨菊のように、結果が出ない時こそ基礎を見直して鍛え直すことが成功への第一歩だと感じました。