嗚呼!友情

 薬物使用による清原選手関連のニュースのなかで、薬物常習から更生した人の話しには生々しいものがある・・・
 その人の薬物に関係するキッカケは、友達(交友関係)からの紹介だということだ。
 本人が自分の意思ではまってしまったよりも恐ろしい気がしてならない。
 ・・・友達が、苦痛からの解放と称し、その後の人生を狂わせるようなことをするのかと。
 友(友達)というものは、平たく言うと①常に親しく交わる仲間②志を同じくする者とある・・・
悪友も友達の部類であろうが、何か明るさはある。
しかし、経験上何か解せないし、このような乱れた?間柄も「友」というのだろうかと。
 では、ということで「友情」を調べてみた・・・

 友情とは、互いの好感、信頼に基づき価値を認め合い、相手のためには自己犠牲も顧みず出来ることをしようとする、とある。

清原選手の場合、甲子園で苦労をともにした盟友桑田選手の忠告に耳を貸さなかったようだが、その友情を理解しないほどに心が蝕まれていたことが清原選手の崩壊と感じた。

そして、薬物とは、友情の絆さえも奪うものなのかと嘆かわしく思わざるを得ない。

これって、手押しタイプの「踏み絵」?

以前から気になっていたことである、ビールなどのアルコール飲料を買う時に、「年齢確認ボタン」を押

 

すことだ・・・しかも、成人年齢を3度経験している六十路の私がである。

短絡的ではあるのだが、あの、信仰心を煽り罪悪感を量りにかけるキリシタン摘発の「踏絵」を思い起す。
若くピチピチしている思われているのならば良いが、腰を曲げ、杖を突いても「押してくださいということ
なのか・・・」と思うと少々腹が立つ・・・世間では実際、老人冒涜?でのトラブルもあるようだ。
未成年者の飲酒を防止し、青少年の健全な育成を図るというのは十二分にわかるが、罪悪感を感じな
い老け顔の持ち主が得をするのでは困りものだ。
最近?は身分証明書の提示を求めるとの音声ガイダンスもあるが、商品受付カウンターに商品を持ち込
み年齢確認ボタン押下後のことであるし、小手先だけのやり方では、売上重視と考えられてもおかしくな
いと思う。
やはり、成人諸氏には申し訳ありませんが、全面的な身分証明書の提示義務付けが必要なのではない
のでしょうか。