言葉遣いと気遣い

佐藤です。ご無沙汰をしております。
いよいよ秋も深まってきました。

実りのある秋にしたいものです。

さて、今日は先日の私の経験から感じたことを。

遠方に出張し、途中セルフのガソリンスタンドでの出来事。

ガソリンを入れていると

店員「あのー、アンケートお願いします」

私「いいですよ。」

店員「タイヤはいつ履き替えましたか、いつ変えましたか云々・・・」

私は丁寧に答えました。すると突然、

店員「それでは住所書いて下さい」

私「???」

店員「こちらに住所と名前書いて下さい」

私はその時次のアポ先まで時間が無く、急いでいたので、

私「すみません。急いでるんで書く暇無いです。申し訳ないです」

アポ先まであと1キロでしたが、6分前、正直焦っていました。
しかし・・・

店員「それでは、コインゲームがありますので、それをやって下さい。
    良い賞品が当たりますので。」

私「・・・分かりました・・・。」

このやりとりのおかしさが分かると思います。急いでいるのに、それを無視して
自分のペースで進めていく、気遣いの無さ。ビックリしました。

気遣いがあれば「もし時間大丈夫でしたら」とかの言葉遣いもあったはず。

多分店員さんは意識していなかったとは思いますが、その気遣いの無さが、
この会話のおかしさを生んだと思います。

言葉はその人の人間性や教養、心遣いが自然と出てしまうもの。
今回改めて教訓とさせて頂きました。

ちなみに、アポ先には4分前に着きました。やれやれでした・・・。

十五夜お月様

お久しぶりです。Kです。

今夜は十五夜(中秋の名月)。1年で1番月がきれいに見えると言われている日
です。十五夜が毎年同じ日と限らないのは、現在の9月7日から10月8日あた
りの満月になる日に定められるからだそうです。

ところで、日本では月の模様がうさぎに見えるというのが一般的ですが、
同じ見え方でも世界では様々な見方があるようです。
アラビア→ほえているライオン 北ヨーロッパ→水をかつぐ男女 
東ヨーロッパ→横向きの女性 カナダ→バケツを運ぶ少女など。

日本でいう月のうさぎは、仏教のお話に基づいて古くから伝わっていると
言われています。

           「月のうさぎのお話」
昔うさぎときつねとさるがいました。                      

一人の老人が倒れています。動物達は自分達で老人を助けようと
します。 きつねは足が速いので魚を取ってきました。
サルは木に登って木の実や果物を持ってきます。

しかし、うさぎは何も持ってくることができませんでした。
しかたなく、火を焚いてもらい、自分の体を犠牲にして食べてもらうことに
したのです。

この捨て身の行動に感動した老人、つまり帝釈天は月にうさ
ぎを昇らせてあげ、永遠にその姿を映し出すようにさせたとの話です。
月のうさぎの周りに見える影は、うさぎが自分を捧げた時に出た煙といわ
れています。十五夜の歌の「うさぎ」中にも十五夜の月を見てはねるうさぎ
のことが出てきますが、このような由来があるとされています。

一見残酷な話のようにも思えますが「自らを犠牲にしてまで他者を助ける」
という教えは、仏教だけでなく他宗教にも多く語られています。
命をかけて・・・とまではなかなかいきませんが、私の周りにも「人を騙すよ
り騙された方が良い」という人が多くおりますので、現代でも通じるものが
あるように思えます。

1年に1度の十五夜には、ゆっくりお月見をしながらこのような事を考えて
見るのも良いかもしれませんね。