ご無沙汰してます。三塚(愛)です。
昨日は、塩沼亮潤 大阿闍梨 氏の講演を聞きました。
何者か?一日往復48㎞の険しい山道を千日間歩く「千日回峯行」
9日間(食べず・飲まず・寝ず・横にならない)「四無行」
100日間の五穀断ち、塩断ちする「護摩行」
を成し遂げ、現在慈眼寺の住職をされている方です。特に「回峯行」
は、金峯山寺の1300年の歴史の中で、満行した2人のうちの1人です。
なぜ、修行とはいえそこまで自らを痛めつけるのだろうか?
「それが自分の運命だから」と一言。
回峯行中の手記を読みながら、気持ちの変化が伝わってきました。
最初は毎日泣きながら、歩きつづけ、「我」をなくす・・・
何だか分からないが涙が出て止まらない。
そのうち、自分は「行」をさせていただいている、目を楽しませてくれる
野に咲く花に、全てのものに感謝の気持ちが生まれてきた。
誰も見ていない、さぼろうと思えばさぼれる。そんな環境でも人が
見ていてもいなくても同じように毎日決まった「行」を行う。
「行」とは自分の心を成長させることだと、諭されるように語って
頂きました。う~ん、深い。
しかし、実体験に勝る説得力はないですね。静かに、ゆっくりと語る
大阿闍梨氏の研ぎ澄まされたたたずまいは、心地よい力強さが
ありました。
何かを成し遂げた人というのは、やはり強いですね。