三塚(代表)特別ブログ

     
 
「大地震」

3月11日2時46分、突然の揺れで本能的に危険を感じた。前日まで出張合宿訓練を担当し、マンションでその指導報告書を作成している時であった。

33年前の大地震を思い出したが、その時よりは揺れが大きくかつ激しく、食器棚から、グラス、茶碗、ワインボトルが飛び出しあっという間に床に落ち破片の山、タンス、テレビ、書棚は倒れる。もう終わってくれと心の中で叫んでも、容赦なく揺れ続き、尋常ならぬ状況で恐怖を感じた。

実際6分間の地震だったのだが、感覚的には相当の長さだった。終わった時は、恐怖を感じていたので、力が抜け安堵したのと同時にこれは甚大な被害があったのではと胸さわぎを覚えた。

事実、マグニチュード9震度6強、宮城県栗原地区は震度7で戦後最大の巨大地震だった。
報道によれば千年に一回の巨大地震とも伝えていた。死者、行方不明者は2万8千人を超え、まだ増えており、関東大震災に次ぐ被害で、目を覆いたくなる惨状である。

大津波で福島原発も事故を誘発し、放射能が飛び散り、解決の道筋も見えない状況である。この突然の大地震で、これまでにない生活を強いられた。

社員の中で交通機関が不通で帰る事が出来ない・ライフラインが断たれ、生活できないため会社で避難生活をしなければいけなくなった。幸い会社は、寝泊まりできるようになっているため、10人ほどは何とか泊まれるので、地震当日は9人がやむを得ず共同生活をすることとなった。

停電だったので、ろうそくをともし、原始的な生活をせざるを得なかった。幸い当日は、水道が使え、ガスが使えたので、ストックしていた食材を使い、不自由な中にも全員力を合わせ不安ながらも過ごすことが出来た。まもなく断水となって、一段と厳しい状況が数日続いたが、かえってそれぞれ危機感を持って、協力し合い、不自由な中にも生活することは何とかできた。

ただし、電話が使えない・ガソリンを給油できず車で移動できない・交通機関はすべて使えない等で仕事はほとんどできなかった。大地震が多くの教訓を教えてくれた。当たり前のの事がいかに、大切ですばらしいことか・文明がすすんでくると今回の地震のようなことがあるといかに無力になるか・一人では生きていけないんだなあ、みんなで支えあって生きているかが思い知らされた。

お金があれば何でも手に入る考えも打ち砕かれた。食料・生活用品が足りない状況になり、行列をつくって買わざるを得ないし・買い手が強者だったのが逆転し、売り手が強者になってしまい、結局商いの原点はてんびん棒のように5分と5分で双方のバランスが必要なことも改めて教えられた。

今回の大地震でわが社の社員だけではなく、被災された方々及びそうでない方々も連帯感が深まりこの逆境を乗り切ろうとする気持ちがわき起こったのは事実である。その気持ちを忘れず、復興に全力を注ぐことが肝要である。

また、災害は忘れたときにやってくるので、いざという場合の備えと非常事態の安全かつ的確な行動をとることを大きな教訓とすべきであろう。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です